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天理教とは?

天理教について、未信者さん、無宗教の方々にもわかりやすく解説をしていきます。

天理教とは

天理教のはじまり

天理教は、江戸時代の天保9年(1838年)、教祖・中山みき様によって始められました。

「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり、このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい」

これは親神天理王命が、教祖・中山みき様を通して私たち人間に対して発せられた最初のお言葉で、立教の御宣言といわれているものです。

天理教の神様について

天理教の神様のお名前は「天理王命(てんりおうのみこと)」と申し上げます。天理王命は、人間が互いにたすけ合う「陽気ぐらし」の姿を見て共に楽しみたいとの思いから、人間と自然界を創り、これまで絶え間なく守り育んでくださっています。人間に体を貸し、果てしなく広く深い心で恵みを与え、「親」として温かく抱きしめ、教え導いて頂いています。

私たち人間の親でありますので、親しみをこめて「親神様(おやがみさま)」また「親神・天理王命様(おやがみ・てんりおうのみことさま)」と呼ばせて頂いております。

天理教の教祖について

江戸時代末期の天保9 年(1838 年)、天理王命(親神様)の啓示(おつげ)を受け、その教えを人々に伝えたのが天理教の始まりです。私たちは、教祖・中山みきのことを「教祖(おやさま)」と呼び慕い、あらゆる人々の救済に、自ら身をもってお働きになった教祖の生き方をお手本としています。

教祖(おやさま)中山みき様は、寛政10年(1798年)、大和国山辺郡三昧田村(やまとのくにやまべごおりさんまいでんむら)(現・天理市三昧田町)の前川(まえがわ)家の長女として生まれました。大庄屋の家柄に育ち、心優しく、信心深い子供だったと伝えられています。

13歳で、庄屋敷村(しょやしきむら)(現・天理市三島町)の中山家へ嫁がれ、嫁として妻として、村役を務める家をきりもりし、慈悲深く善行を施すその姿は、近隣の人々から敬愛されたといいます。

天保9年(1838年)10月26日、41歳の時に親神・天理王命の啓示(おつげ)を受けます。教祖(おやさま)の体に、世界と人間を創造した神様である親神・天理王命が入(い)り込んだのです。以来、教祖(おやさま)は人々に教えを説き、自ら身をもって人をたすける手本を示します。その手始めとして、近隣の貧しい人々に家財を施し、貧に落ちきる道を歩まれました。

教祖(おやさま)は嘉永7年(1854年)、妊婦が安心して出産に臨めるよう「をびや許し」を始めました。

安産はもとより、産前産後の健康もお守りいただけると近隣の評判を呼びます。これをきっかけに、天理教の教えは日本各地へ伝わっていきました。

教祖(おやさま)を「生き神様」と慕って、多くの人々が「親里・ぢば」へ帰るようになると、これを快く思わない神社仏閣や官憲などから迫害干渉が加えられるようになります。

しかし教祖(おやさま)は、そんな道中もいそいそと通られ、人々の救済に一層力を注がれました。

教祖(おやさま)が神の啓示(おつげ)を受けてからの道中は、親神様の教えを伝え、寄り来る人々を育てて、ひたすら救済する日々でした。その年月は、50年の長きに及びます。

世界中の人々が心を澄まし、仲良くたすけ合う人間本来の生き方の手本を、自ら身をもって示されました。

教祖(おやさま)が90歳を迎えるころ、本教への迫害干渉はさらに激しさを増していきました。

そして明治20年(1887年)陰暦1月26日、教祖(おやさま)は親神様の思召(おぼしめし)により、静かに現世での姿を隠します。教えを受けた人々は、教祖の姿を拝せなくなったと嘆き悲しみました。

しかし、その魂は存命同様に世界の救済に働いていると知らされ、人々はますます布教伝道に奔走するようになります。こうして、天理教の礎が築かれていったのです。

教祖(おやさま)はいまも存命であり、世界中の人々が仲良くたすけ合って暮らす「陽気ぐらし」世界の実現のうえに、昼夜の別なくお働きになっています。

天理教の聖地について

天理教信仰の中心は、親神・天理王命(おやがみ・てんりおうのみこと)によって人間創造の地点と教えられる聖地「ぢば」です。
奈良県天理市に位置し、天理教教会本部の神殿と礼拝場は「ぢば」を取り囲むように建てられています。

全国各地の天理教の教会は、この「ぢば」の方角を向いて建てられています。信仰者は教会から「ぢば」に向かって、人々の幸せと救いを親神様に祈ります。

現在その地点には、人間創造の元なる地点の証拠として「かんろだい」が据えられ、礼拝の目標としています。親神様は、この「ぢば」にお鎮まりくださっています。

「ぢば」は、すべての人間の故郷。

「ぢば」を訪れることを、里に帰る意味を込めて「おぢばがえり」と言います。

「ぢば」の一帯は、もとは大和の国の庄屋敷村(しょやしきむら)(現在の天理市三島町)という小さな村でしたが、やがて多くの人々が寄り来るようになり、今では「親里(おやさと)」と呼び親しまれています。

「ぢば」は、世界中の人々の魂のふるさと。どなたでも自由にご参拝いただけるよう、本部神殿は365日24 時間開かれています(夜間は南礼拝場からご参拝ください)。

拝観料、事前申し込みは不要です。受付窓口はございませんが、参拝者の方にご利用いただける「インフォメーションセンター」があります。

神殿での参拝の後は、「教祖殿」「祖霊殿」と回廊づたいに巡って参拝できるようになっています。

天理教の教会について

天理教の教会は、親神様の教えを伝え広めるための拠点であり、それぞれの地域社会における陽気ぐらしの手本となる場所です。

教会は、会長を芯として信者を教え導き、教会の使命である「おつとめ」と神様の教えを広める「布教」の遂行につとめます。現在、日本国内を中心に、約1万7千の教会があります。

信者数は200万人を数え、その教えは海外80カ国に広がっています。

私ども田原本分教会も1万7千ある教会の1つです。教会を拠点に、他者への奉仕を通じて地域社会に役立つ活動も行っています。

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天理教の目的とは?

そもそも、私たちが暮らすこの世界は、どうやって創られたのでしょうか。

人間は何のために生きているのでしょうか。そうした、人々が古来持ち続けてきた根本的な問いに対する明確な答えが、天理教では具体的に示されています。

親神・天理王命は、人間が互いにたすけ合う「陽気ぐらし」の姿を見て共に楽しみたいとの思いから、人間と自然界を創り、これまで絶え間なく守り育んできました。

人間に体を貸し、果てしなく広く深い心で恵みを与え、「親」として温かく抱きしめ、教え導いています。

人間創造の目的である「陽気ぐらし」に近づく生き方を、教祖(おやさま)を通して教えられた私たちは、日々の生活の中で「陽気ぐらし」にふさわしい心になるよう、親神様から大きな期待がかけられているのです。

それは、自己中心的な心をやめて、他者の幸せを願い、たすけ合う心へと成長していくことです。

私たちや周りの人々に、病気やつらいことが起こったときでも、それは私たち人間の心を育てるための“神様からの手引き”にほかなりません。

つらく悲しい出来事でさえ、実は神様による導きであるという真実に目覚めたとき、何ごとも前向きに受けとめ、明るく陽気に生きていくことができるでしょう。

さらに、その思いは、神様に対する感謝と喜びを生み、私欲を忘れて他者のために行動する「ひのきしん」へとつながっていきます。

天理教の信仰はすべて、教祖・中山みきの口を通して教えられた親神・天理王命からの啓示に基づいています。

教祖は、「陽気ぐらし」に近づく生き方を、私たちに分かりやすい言葉で伝え、文字に記し、自らの行動で教えました。

なかでも、教祖の直筆による「おふでさき」を含む天理教原典と、それに基づく『天理教教典』は、信仰の揺るぎない拠りどころとなっています。

天理教の教えについて

かしもの・かりもの

だれもが自分のものであると思っている体を、親神様からの「かりもの」であると教えて頂きます。

そして、心だけが自分のものであり、その心通りに体をはじめとする身の周りの全てを御守護下さいます。

これを教祖(おやさま)中山みき様は、「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々でる。」と仰せ下さいます。

従って、借りものである体は、貸主である親神様の思召しに叶う使い方をすることが肝心です。

出直し

天理教では、人の死を「出直し」といいます。教祖(おやさま)は、「古い着物を脱いで、新しい着物に着替えるようなものやで」と優しくお教え下さいました。

つまり親神様からの「かりもの」である体は、親神様にお返しをしても、その魂は末代にわたって生き通しであり、親神様がその魂の因縁(運命)を見定めて、また新しい体をお借りして生まれ替わってきます。

ですので人の死は、大変辛く悲しい出来事ではありますが、出直しの教えに当てはめて考えますと、新たな出発の時でもあると思案致します。

人たすけたら我が身たすかる

教祖(おやさま)に重い病気をたすけて頂かれた先人が「この御恩は、どうして返させて頂けましょうか?」と尋ねたところ、教祖(おやさま)は「人を救けるのやで」と仰せられ、「どうしたら、人さんが救かりますか?」との重ねての問いに「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話させて頂くのやで」と仰せられました。

親神様、教祖(おやさま)への一番の御恩返しは、救けて頂いた元一日の喜びを忘れず、人だすけに努めることであり、我が身、我が家のたすかりよりも、人様のたすかりを願うことが大切であります。

天理教田原本分教会としての活動

【こども食堂】田原本にこにこ食堂

「田原本にこにこ食堂」は、子供から大人まで人と人とがふれあう楽しくて、あったかくて、賑わいのある場所を目指しています。

2019年2月より月一回の開催を続け、これまで1,728名の御利用をいただき、スタッフも含めのべ2,034名(2020年6月現在)とたくさんの方々に御参加頂きました。当教会の信者さん方をはじめ、PTA活動での友人やこの活動に共感して下さる大勢の皆様にお手伝い頂いております。

これからも、楽しくてあったかい、地域交流の場になるように頑張りたいと思います。また、コロナ禍での活動といたしましては、フードバンク奈良、県社協、こども食堂支援企業サンデリカ様、一般企業様のご支援を頂き、にこにこおたすけ便(配食)やフードパントリー(食材提供)の活動を月2回開催しております。

更に令和2年8月より「学習サポートにこにこクラブ」という学習支援も始めさせて頂いています。